素敵なニュースなんですけど、知ってます?
子供の頃から難病を抱えた、江ノ電の運転手になることを夢見てた少年がいました。
彼の病は治ることなく、もう命の炎が最後の明るさを保っている時に、江ノ電側が気をくばり制服、制帽を貸してあげ、運転席に座らせて、時にはハンドルも握らせたりして、江ノ電の片道の運行を体験したそうです。
事前に運転させる情報を知った関東の陸運局は反対したらしいのですが、その日の事は事実確認が出来ない、と見て見ぬふりをしたそうです。
その5日後、彼は天に召されました。
彼が亡くなって10年目の今年、彼のお父さんの友人が、この話しに感銘を受け、江ノ電の旧型の模型を作り、江ノ電の会社に送ったそうです。
そのことが社内誌に載り、この一連のストーリーに感動した現江ノ電社長が
「全ての仕事を後回しにしてもいいから、あの少年に運転手としての辞令を!」と社員に言ったそうです。
彼は夢にまでみた江ノ電の運転手になりました。
もうひとつ
紙芝居師の森下正雄さんがお亡くなりになりました。
亡くなった方を素敵なニュースなんて言うのも失礼ですが、素敵な人生だったんだと思わせてくれます。
森下さんは戦後すぐからずっと紙芝居一筋の人生でした。
昔は沢山いた紙芝居屋さんも、テレビの普及でどんどん仲間は廃業したそうです。
森下さんの奥さんは、森下さんの意志を受け、パートにバイトに、家庭を支えてきたそうです。
森下さんのご子息達は、父親参観日に子供達のヒーローである自分の父親が来てくれるのが一番嬉しかったと言ってます。
森下さんは、喉頭ガンになりました。
入院前日には紙芝居をし、子供達とお別れをして、手術の前日は病院で紙芝居をテープに録音しながら最後の舞台を飾ったそうです。
手術は無事に終わり、リハビリで少し会話も出来るようになったそうですが、紙芝居をやってた時の声は取り戻せなかったようです。
そこで森下さんは、手術前日の録音に口パクて紙芝居をする方法を考えたそうです。
が、手術前日となると、さすがに絶頂期の声色に比べたら弱かったみたいで。
その努力の模様をテレビで放映したら、後日自宅に差出人不明の絶頂期のテープが送られてきたそうです。
それから、森下さんは口パク紙芝居師として再び全国を回りました。
そして5日前、初めて森下さんは、紙芝居をめくるときに紙を落としたそうです。
それが最後の紙芝居となりました。
命の隅々、全てを燃やし切って天に召された森下さんの人生を羨ましくも思います。
このところのゲンタ的2大ニュースでした。
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良い話はいくら聞いても嬉しいし、自分も他の人に伝えたいって思います。
素敵なニュースをもっと!もっと!!
と、願っています。
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江ノ電は
日本中探しても、あれだけチープでかつ文化的な路線はないんじゃないかな?
そんな地域から愛されている江ノ電の逸話は、神奈川県民として「江ノ電、あっぱれ!」と言う誇り高き喜びでいっぱいです。
法律とか基礎とかの物差しで考えるだけじゃない、心から行う粋な出来事を、もっともっと日本中に増やせたら、毎日が、日本に暮らしていることが、眩しく映ることでしょう。
久々に、胸のスカッとするニュースでした。
ニュースの追加
お願いとは
「死んだ息子が江ノ電の運転手になりたかったので、運転手にさせて下さい」という願い。
模型に少年の写真を乗せて、動かしてもらったそうです。
その後、その模型を作った人が、もっと多くの人に見てもらおうと、江ノ電にその模型を寄付したのが今月頭。
生前、少年の江ノ電運転の機会は2度あったそうですが、2度とも体調不良で断念したそうです。
ラストチャンスにと、トライ出来た運転の後、4日後亡くなったのです。
その少年の運転の責任者となる江ノ電の担当者は、素人にハンドルを握らせるのだから…と後の処分を覚悟して常に内ポケットには辞表が入っていたそうです。
泣けます。
私は小学生の頃に父親の仕事について行っていました。
(休日に団地で野菜の販売をしていた)
その団地には紙芝居屋さんが来ていて良くみていました。
今でもよく覚えています。
森下さんに直接お会いした事はありませんが
どんどん昭和がなくなっていきますね。
人には寿命があり、当たり前の事なのですが
どこかで語り継がれていって欲しいなと思います。
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